新幹線の入り口って狭いですよね。わたしのカメラでかいから、平気で「シノゴ(4in x 5in)のフィールドカメラじゃなくて、ビューカメラを持ってゆくんですよ。ビューカメラみたいにたためないから、カメラバック自体も大きいの。それを背負っていたら、新幹線のどビラで使えちゃって大変でした。
博多について、何気なくコンコースにいたら「鹿児島本線周りの急行「日南」は間もなく出発いたします。なんて放送が流れているので、度超え行くことも考えず、飛び乗りました。「ま、南に行ければいいや」みたいな。
疲れていたんだか、結構バタンキューで、朝起きると、「伊集院」という駅に入線し始めているところでした。
窓から見ると、いかにも「ローカル線」という車両(300系だけど)が止まっていたので、あわてて飛び降りて。それが、南薩鉄道との出会いでした。
色々あって、結局「日置」にある吹上浜ユースホステルで、ホステラーとしてではなく、働かせてもらえることになりました。
この映像たちは、その時撮りためた写真と音です。1982年の夏は私の将来にわたって、多大な影響を与えてくれた、「いい大人に育ててくれた」経験だったと思います。
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